三十六人集(西本願寺本)
躬恒集 ギラ引唐紙『七宝紋』(清書用臨書用紙)         戻る 『三十六人集』 粘葉本 一覧へ

三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (躬恒集)   地を白雲母でギラ引し、唐草柄が白胡粉で施されている為全体的に艶感が強い様に感じられることもありますが、何方の上にも墨が乗るように加工が施されておりますので、安心してお使い頂けます。
参考写真です
躬恒集 ギラ引唐紙 『獅子唐草』 書拡大へ
唐紙料紙の書手本
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七宝紋・ギラ引唐紙(躬恒集)・(半懐紙)
黄色ギラ(黄雲母と金雲母の混合)引きにつや消し唐草
 
 
 左上側部分
三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (躬恒集) 拡大 
 写真は代用品です。

白色具引に
白雲母で柄刷りしたもの
実物は白雲母でギラ引
して七宝紋の柄を白色の胡粉で柄刷りしたもの。



七宝紋・ギラ引唐紙(躬恒集)花鳥折枝金銀袷型打
現物はギラ引きにつや消し唐草(下地の色を拾って極薄茶に見えます)
 
 右下側部分
三十六人集 ギラ引唐紙 『七宝紋』 (躬恒集) 拡大 
 
七宝紋・ギラ引唐紙(躬恒集)花鳥折枝金銀袷型打
現物はギラ引きにつや消し唐草(下地の色を拾って極薄茶に見えます)
 
 


 書手本

三十六人集 ギラ引唐紙 『獅子唐草』 (躬恒集) 書手本   使用字母
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 ギラ引唐紙(雲母引地胡粉柄) 『七宝紋』(躬恒集)書手本 縦6寸7分、横1尺5分5厘
第三十四紙                              

歌番号は躬恒集での通し番号              青色文字は使用字母

   花のちるを見て

377

 あひおもはで
 うつろふいろと みるものを、はなにし
            られぬ ながめする哉

378
 ゆきかへり みるだに
 あるを さくらはな、
     いかにせよとか
          かぜのふくらむ

   さくらのはなのをちへいぬるをみて
379
 いつのまに ちりはてぬらむ さくらばな、
 おもかげにのみ
   いまはみえつつ


380 
 ひさかたの そらも
      くもりて ふるゆきは、風にちりくる
           はなにざりける

381
 春ふかみ
 えださしひぢて かみなみの、かはべに
 たてる やまぶきのはな


382

 ちるにだに あはましものを やまざくら、
 またぬははなの そらしなりけり

   ていじの院のうたあわせ


   花乃知留遠見弖

377

 安比於母盤天
 宇川呂不以呂止 美留毛乃遠、盤那爾之
            羅礼奴 那可女数留哉

378
 遊起可部利 美流多仁
 安留乎 佐久良盤那、
     以可仁世與止可
          々世乃不久良武

   左久羅乃盤那乃遠知部以奴留遠美天
379
 伊徒乃満爾 知利波弖奴良武 左久良盤那、
 於毛可介爾乃美
   以満者美盈徒々

380
 比左可多乃 所良毛
      久毛利天 不留由支盤、風爾知利久留
          盤那爾左利遣留


381
 春婦可美
 衣多佐之比知天 可美那三乃、閑波部爾
 多天ル 也満不支盤那

382

 知留爾多爾 安八満之毛乃遠 也万佐久羅、
 満多奴盤々那乃 所良之奈利遣利
                            天以之乃院乃宇多安者世


「个」は「介」とすることも。
「爾」は「尓」とすることも。
「弖」は「天」とすることも。
「與」は「与」とすることも。

377
お互いに思いも通わせないで盛りの過ぎた花のように思われるものを、せめて花には知られないようにそっと眺めていたいものだなあ。

378
行き帰りに桜の花を見られるだけで良いのに、一体どうしろと云うことで今、風は吹いているのだろうか。

おち
遠;遠い所。遠い昔。

往ぬる;過ぎ去る。時が経過する。行ってしまう。

379
桜の花はいつの間にかすっかり散ってしまいましたよ、今となっては思い出の中にのみ現れて来るだけですよ。

380
久し振りに空が曇って来たかと思ったら、雪がちらほらと舞い降りてきた、(おやまあ、雪だと思っていたのは)風に舞い散る花弁だったのだなあ。(この場合の花は普通に考えると梅の花なのだが、久方を強調すると、忘れかけていた頃に思いがけずとなり、桜の花の方がより驚きを表すのに相応しい。)

ざりける;…だったのだなあ。「ぞありけり」の約音の連体形。断定の係助詞「ぞ」と助動詞「あり」の約音「ざり」に過去の助動詞「けり」の連体形「ける」ついたもの。

381
春も深まって来て差し出した枝が(その重みでたわんで、水面に)浸かって、神南備の川辺に山吹の花が(健気に)生えていますよ。

枝差;草木の枝の差し出した様子。

382
散って終っているでしょうに(せめて散り際だけでも)、山桜と(開花の時期に)廻り合せしたかったものを、待たないのは花のそ知らぬふりであったと云うことだ。



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