『安宅切』 和漢朗詠集 巻子本 第二十一紙
巻子本用一紙(8寸0分×8寸8分5厘)
鳥の子製 装飾料紙 純金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ砂子 (暈し・雲紙その他)
和漢朗詠集の書写本で藤原行成筆と伝えられている安宅切の第二十六紙になります。書写用の料紙としては西本願寺本三十六人集にに並ぶほどの美しい装飾が施された料紙になります。実物の安宅切は一紙、横約八寸前後・縦約八寸八分五厘の大色紙大の料紙で元は巻子本です。第二十紙は横幅が約4寸1分小さく、歌二首分ほど欠落しており第二紙との間に歌十首半欠落していることからおそらく三紙分欠落しているものと思われます。隣同士の料紙にまたがって下絵が施されており、料紙を繋いだ状態で泥書が施されたものと推察できます。安宅切には金銀切箔砂子が施されておりますが、本料紙では金銀切箔は施しておりません。(書き易さと価格面を優先した為でありその点ご了承ください。勿論中小切箔を施したタイプの物も御座います。)今回の写真は約三十年程前に製作された物で純金銀泥を使用している為、一部に銀焼け部分が御座いますがご了承下さい。臨書用紙はもちろん通常の清書用料紙としてもご利用いただけます。
写真をクリックすると別色が御覧に為れます。
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巻子本『安宅切』です。使用されている装飾料紙は巻子用大色紙で、染紙や雲紙に隈ぼかし更に純金銀泥で州浜と菅千鳥などが描かれ、金銀大小切箔ノゲが散らされております。本清書用では切箔を除いて書き易さ、書の見易さを優先しております。勿論、金銀切箔ノゲを振ったタイプの物も御座います。 |
安宅切紙
写真をクリックすると部分拡大が御覧に為れます。(順次掲載予定です)
第十二紙(明灰色) |
第十一紙(栗梅色) |
第十紙・雲紙(水灰色) |
第二紙(明灰色) |
第一紙(薄香色) |
第二十六紙(渋草色) |
第二十一紙(瑠璃色) |
第二十紙(薄香色) |
第十三紙(薄香色) |
第三紙(明灰色) |
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752 范蠡収二責勾踐一、乗二扁舟於五湖一。咎 犯謝二罪文公一、亦逡二巡於河上一。後漢書 753 翫二其積礫一不レ窺二玉淵一者、曷知二 驪龍之所一レ蟠。習二弊邑一不レ視二上邦一 者、未レ知二英雄之所一レ宿。文選 754 人間禍福愚難レ料、世上風波老不レ禁。白 755 車前驤病駑駘逸、架上鷹閑鳥 雀飛許渾 756 事々無レ成身也老、酔郷不レ知欲二何之一。白 |
752 范蠡責を句践に収めて、扁舟を五湖に乗れり。 咎犯罪を文公に謝して、また河上に逡巡せり。 後漢書 文公;春秋時代の晋の王で、名を重耳と云う。公子の時に内乱が起り諸国を流浪したが、秦の援助のもとに帰国して即位した。在位は前636年~前628年 五覇の一人。(生年前697~没年前628) 753 その碩礫を翫んで玉渕を窺はざる者は、曷んぞ驪龍の蟠まれる所を知らむ。 その弊邑に習うて上邦を視ざる者は、未だ英雄の 躔れる所を知らず。 もんぜん さ し 文選(佐思) りりょう 驪龍;黒色の龍。 754 人間の禍福は愚かにして料り難し、世上の風波は 老いても禁ぜず。 (白楽天) 755 車の前に驥病んで駑駘逸れたり、 架上に鷹閑にして鳥雀高し。 きょこん 許渾 756 ことごと 事々に成すこと無くして身また老いたり、 酔郷を知らず何ちかゆかんとす。 (白楽天) |
752はんれい こうせん へんしゅう きょうはん ぶんこう しゅんじゅん 范蠡責を句践に収めて、扁舟を五湖に乗れり。咎犯罪を文公に謝して、また河上に逡巡せり。 范蠡が責務を句践に収めて小さな小舟で五湖に漕ぎ出でた!。咎犯がその罪を文公に謝ったが、また河上で決心がつかずに躊躇いながらぐずぐずしていた。 (范蠡は小さな舟でも果敢に出て行き手柄を立てたが、咎犯はいざと云う時になるとまたもや躊躇した。) 753 せきれき もてあそ うかが いづく りりょう わだか その碩礫を翫んで玉渕を窺はざる者は、曷んぞ驪龍の蟠まれる所を知らむ。 へいいふ み ふま その弊邑に習うて上邦を視ざる者は、未だ英雄の躔れる所を知らず。 河原の小石ばかりを好き勝手に扱って深みを心得ないものは、どうして黒龍の踏まれる所を知る事が出来ようか。その落ちぶれた里に住み慣れてしまって上國を視察しないものは、未だに英雄の踏まれる所を知らない。 754 人間の禍福は愚かにして料り難し、世上の風波は老いても禁ぜず。 人間の災いと幸せは理解力に乏しくて図り難いものである!世の中の波風は年老いても尚止むことはない。 755 き がだい すぐ しづか 車の前に驥病んで駑駘逸れたり、架上に鷹閑にして鳥雀高し。 車の前では駿馬も病勝ちで乗り物ばかりが並外れて優れている、棚の上では鷹が落ち着いた様子で鳥雀は空高くに羽を伸ばしている。 756 すいきょう いづ 事々に成すこと無くして身また老いたり、酔郷を知らず何ちかゆかんとす。 事ある毎にすることが無くて我が身はその都度に年を取って終ったよ、心地よく酔える別天地を知らずして一体どこへ行こうとしているのだろうか。 |
こうせん 句践;春秋時代の越の王。父の代から呉と争い 父の没後、呉王である闔閭を敗死にまで至らしめたが、前494年に闔閭の子夫差により囚われの身となる。何とか赦免されて帰ると、范蠡と共謀して前477年遂に呉を打ち滅ぼした。 碩礫;河原の小石。 へいゆう 弊邑;落ちぶれた里。 上邦;都に近い国。中国は周代の王都に近い諸国 踏れる所;実践した行程。 き 驥;一日に千里を走るという駿馬。 ちょうじゃく 鳥雀;スズメや人里近くに集まる鳥 |
安宅切 第二十一紙 右上側部分拡大 右端に見える水灰色の部分は前項の料紙 第二十紙です。 金泥千鳥は右に向って三羽 描かれております。 |
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右上側部分拡大 安宅切 第二十一紙 | |
安宅切 第二十一紙 左下側部分拡大 左端に見える灰白色の部分は次項の料紙 第二十二紙です。 銀泥州浜は両紙またがって 描かれております。 |
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左下側部分拡大 安宅切 第二十一紙 |
さ し
佐思;西晋の武帝・恵帝頃の詩人。秘書郎。字は太沖。その詩は高い風格をもって当時に際立っていた。十年の歳月を費やして作成したと云われる「魏都賦」「蜀都賦」「呉都賦」の総称である『三都賦(さんとのふ)』が文選(もんぜん)に収載されている(生年?年~没年308年頃)
もんぜん
文選;中国の周から梁に至る千年間の文章・詩賦などを細目に分けて編纂した元30巻もの書物で、後に倍の60巻もに増冊される。六朝、梁の昭明太子簫統が正統派文学の秀でたものを集大成することを意図して文章家、詩人ら約130人の協力の元に編纂をしたもの。作品800編を文体別・時代別に並べ、37の文体門に分類した。美文の模範として後世、広く知識人の必読書とされ、日本にも持ち帰られて平安時代には大いに盛行した。唐の李善の注釈、呂延祚の集めた五臣注、両者を合わせた六臣注等がある。
きょこん
許渾;晩唐の詩人。字は用晦。或は仲晦。江蘇省丹陽の人。849年に監察御吏、更には睦・鄭2州の刺史に進み、善政を施した。詩集に「丁卯集」がある。生年791年~没年854年頃。
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