『安宅切』 和漢朗詠集 巻子本 第三紙
巻子本用一紙(3寸9分×8寸8分5厘)
鳥の子製 装飾料紙 純金銀泥下絵 金銀大小切箔ノゲ砂子 (暈し・雲紙その他)
和漢朗詠集の書写本で藤原行成筆と伝えられている安宅切の第三紙になります。書写用の料紙としては西本願寺本三十六人集にに並ぶほどの美しい装飾が施された料紙になります。実物の安宅切は一紙、横約八寸前後・縦約八寸八分五厘の大色紙大の料紙で元は巻子本です。第三紙は横幅が約4寸1分小さく、歌二首分ほど欠落しており第二紙との間に歌十首半欠落していることからおそらく三紙分欠落しているものと思われます。隣同士の料紙にまたがって下絵が施されており、料紙を繋いだ状態で泥書が施されたものと推察できます。安宅切には金銀切箔砂子が施されておりますが、本料紙では金銀切箔は施しておりません。(書き易さと価格面を優先した為でありその点ご了承ください。勿論中小切箔を施したタイプの物も御座います。)今回の写真は約三十年程前に製作された物で純金銀泥を使用している為、一部に銀焼け部分が御座いますがご了承下さい。臨書用紙はもちろん通常の清書用料紙としてもご利用いただけます。
写真をクリックすると別色が御覧に為れます。
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巻子本『安宅切』です。使用されている装飾料紙は巻子用大色紙で、染紙や雲紙に隈ぼかし更に純金銀泥で州浜と菅千鳥などが描かれ、金銀大小切箔ノゲが散らされております。本清書用では切箔を除いて書き易さ、書の見易さを優先しております。勿論、金銀切箔ノゲを振ったタイプの物も御座います。 |
安宅切紙
写真をクリックすると部分拡大が御覧に為れます。(順次掲載予定です)
第十二紙(明灰色) |
第十一紙(栗梅色) |
第十紙・雲紙(水灰色) |
第二紙(明灰色) |
第一紙(薄香色) |
第二十六紙(渋草色) |
第二十一紙(瑠璃色) |
第二十紙(薄香色) |
第十三紙(薄香色) |
第三紙(明灰色) |
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本文 水色文字は使用字母 | 読み下し |
663 刑鞭蒲朽蛍空去、諫鼓苔深鳥 不レ驚。國風粧 丞相 674 季文子妾不衣帛、魯人以爲二美談一。 公孫弘身服二水布被一、汲黯譏其多詐。 675 百里奚乞食於道路、繆公委以政。 甯戚飼二牛於車下一、桓公任以國。漢書 |
663 けいべん 刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去んぬ、 かんこ 諫鼓苔深うして鳥驚かず。 (小野国風) 丞相;中国で天子を助けて国政を行った 大臣。 674 はく き 季文子が妾帛を衣ず、魯人以て美談とす。 こうそんこう ほ ひ き いつはり 公孫弘が身布被を服たる、汲黯その詐多き そし ことを譏れり。 ほ い 布被;庶民が着用する麻布製の衣服。 平安以降は麻布製の狩衣の総称。 675 びゅうこう まか 百里奚が食を道路に乞うし、繆公委するに まつりごと 政を以ってす。 ねいせき 甯戚子が牛を車下に飼うし、 桓公任するに国を以ってす。 (漢書) 黄文字は欠損部分 |
663 刑罰用の鞭は蒲も朽ちてしまい蛍(希望の光)は空しく飛び去ってしまった。 諫言用の太鼓も苔深くなっていて打ち鳴らしても鳥も驚かないほどだ。(都は随分と寂れてしまったようだ) 674 季文子の妾が絹の着物を身に着けない事、魯の人々はこれを以て美談とする。 公孫弘自身は庶民が着用する麻布製の衣服を着ている、闇に思いやる事にはその偽りの多いことを非難する。 (見かけ上庶民の格好をしているが、陰では何をしているのやらと人の悪口を云う。勿論陰で!) 675 百里奚は公の道に食い扶持を求める、誤った行いを委ねるのに政治を以ってする。 甯戚子が牛を車の下で飼っている、桓公は臣の為すが儘にするに国を以ってする。 |
しょう 妾;わらわ。女性の自称の謙称 雨が降ってにわかに地上に溜まり流れる水。 はく 帛;絹布。 |
安宅切 第三紙 上側部分拡大 左端に見える銀灰色の部分は陰の為 輝きの消えた銀泥の州浜です。 銀泥下絵は両紙またがって 描かれております。 |
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上側部分拡大 安宅切 第三紙 | |
安宅切 第三紙 下側部分拡大 下側には州浜も千鳥も描かれておりません。 光を当てていない為銀箔が灰色になって 見えております。 |
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下側部分拡大 安宅切 第三紙 |
きぶんし
季文子;魯の宰相。宣公・ 成公・襄公の三代の宰相を務めながら暮らしぶりは質素であった。 民が粗衣粗食なのに、宰相である私が豪華な暮らしをして国家の華とするとは聞いたことがないとした人。
ひゃくりけい ぐ ぼっこう
百里奚;中国春秋時代の秦の名相。字は井伯とも言い元々は虞に仕えていた人であるが紀元前655年、晋の献公が虞を滅ぼした時に晋軍に捕えられた。が秦の穆公がその賢人ぶりを聞き及び五枚の黒羊の皮(五羖羊=ごこよう)を代償としてその命を救ったという事から五羖羊大夫とも呼ばれ穆公に尽くした。紀元前7世紀頃の人、百歳近くまで生きながらえていたと云われる。(生年?年~没年?年)
ねいせきし
甯戚子;中国春秋時代の賢人。牛飼いをしながら質素に暮らす農夫。ある日管仲から賢者として登用されたしとの書をあ預かるも自らは動かず、後に斎の桓公を路上に臨む。問答にて桓公の考えをただすも一度は激怒されて殺されかかり、家臣の忠告を受けた桓公に思いとどまられ、学を解するとみた甯戚は管仲の書を見せて爵位を授けられる。後に隣国に武力を以って攻めっるのではなく徳を以って攻めるが好いと宋との和睦を結ばせた。
かんじょ
漢書;二十四史の一つ。前漢の歴史を記した紀伝体の書で後漢の班固の撰によるもの。本気12巻、表8巻、志10巻、列伝70巻計100巻(現行120巻)。82年ごろ成立、妹班昭が兄の死後に表及び天文史を補う。紀伝体の断代史と云う形式は後世の歴史家の模範となる。
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